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163 名前:日出づる処の名無し :2008/09/29(月) 17:16:17 ID:vxFZdEKh
アメリカ人学者モースは1877年の夏の夜、隅田川の花火大会に出かけた。
何千人もの人々が川岸に集まっていた。
屋形舟も無数に繰り出し、その提灯の光で川面が覆われるほどだった。
モースも一そうの舟に乗った。
船頭は長い竿を巧みに操って、行き交う舟と舟の間を避けて進んでいく。
「ありがとう」「ありがとう」「ごめんなさい」
船頭たちが交わす会話を聞きつつ、モースは感心した。
モースはこう書き残している。
『この大混雑の中でさえ、不機嫌な言葉を発する者は一人もなく、ただ「アリガトウ」「アリガトウ」あるいは「ゴメンナサイ」だけであった。かくのごとき優雅と温厚の教訓!なぜ日本人が、我々を「南蛮夷狄」と呼び来たったかが、段々にわかってきた』
164 名前:日出づる処の名無し :2008/09/29(月) 17:23:33 ID:vxFZdEKh
・アメリカ人学者モース
明治15年モースは、広島の旅館に財布と懐中時計を預けて長期旅行しようとした。
旅館の女中は預かり物をお盆に入れて、畳の上に置いただけだった。
不安にかられて、モースは宿の主人を呼んだ。
だが主人はこう言っただけである。
「ここに置いても安全です」
旅行中にこの部屋を使う客は何人もいるはずだった。
女中たちの出入りもある。
不安はあったが、半ば実験だと思って、モースはそのまま旅に出た。
一週間後。
旅館に戻ったモースは、ふすまを開けた。
《帰ってみると、時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に乗っていた》
欧米の宿では盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったという。
「日本人は生得正直である」とモースは記した。
"- なぜ日本人が我々を「南蛮夷狄」と呼び来たったかが、段々にわかってきた « 日本最強伝説 (via toshikin3)
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